過去俺

10/17 今日起きたのが10時頃だったのだが、急に親せきの人達が来る事になっていて、その準備を手伝った。といっても料理は母が全て担っていたので、私は人数分に足る食器を洗い、大人数座れるように机を引っぱり出し、出来た料理を片っ端から運んでいくということをしていた。前日に連絡があったり、朝一に連絡があればもう少しは余裕があったのだろう。時間がない事で、滞っていくおそろしさを久々に憶えた。それにしても母の料理の手際は目を張った。コンロを全て使いながら次々と新しい料理を作り出していたあの速度は、熟練者の凄みがあった。最大限の力を発揮している姿は、どんな状況だろうと素晴らしいものだというのを見る事が出来た。

 そうした速度を保ったまま、10時頃から16時頃まで続いて、親せきが帰路につくとさすがにへろへろになっていた。母もさすがに堪えたようだったので、シュークリームを買っておいた。あの人は甘いものを食べるとものすごい元気になるので。私はすぐに昼寝をした。起きたあともまだ疲れのアクが抜けきっていない様でちょっとダルかった。

 そんな一日でまったく作品には手が回らなかった。時間を作ってちょっとづつやるべきだったんだけど、さすがに無理でした。でも、もともとやることを決めていれば、手が入れられたとは思う。ので、やっぱりカレンダーにちょっとづつ書き込んでいくのが良いね。最近やっていなかったけどまた書き込むようにしよう。

 

 

10/18 ラッカー系塗料を使って、地色を塗ってみた。感想として、ラッカーの上にアクリル、その上にエナメルを塗るというのは大量生産に向いたやり方なのではないかと感じた。また、プラモデル向けのやり方でもあるようだ。

 ラッカー系塗料は、シンナーで薄めたものの想定以上に色としての濃さがなかった。扱った色の問題と、混ぜたシンナーの量もあるだろうが、均一に塗りつぶすという事にラッカーは強くないという印象を受けた。肌色を塗ったとき、下地材として吹いたグレーが強く出てきた。筆はかすれなかったものの、色が薄くなっていた。これは下地材の色のミスでもある。しかし逆にいえば、数多くの色を乗せて複雑な下地を作ることができるということだ。ガッシュでの平面構成と似たような感覚になった。

 それから単色だけで塗ったのだが、非常に単調な色味だった。混色は必然といっても良いくらいだ。実に稚拙な色で、計画していても心配になるほど。でも上に書いたように、ちまちまと様々な色を重ねていく事が出来そうなので、奥行きと味わいのある色味を出す事は出来そうだ。エアブラシで全体にフィニッシュの色味をうっすらと乗せるのがいい感じかもしれない。

 黒は相性が良かったのか、しっかりと塗る事が出来た。そのぶん下にある色を完全に潰してしまうため、扱いに悩んでいきそうだ。

 それから重ねていくと塗膜が厚くなると聞いていたのだが、確かにちょっと気になる厚みでもある。ただ、コレと同じ事をアクリルガッシュでやったと考えると、それよりかは若干薄いと思われる。手触りの問題もあるだろうけども。でもやっぱり気になるな。筆のあとも強く残っているし、本当に細かいディティールなんかは潰れてしまうような気がする。その分小さい凸凹を潰せるという事でもあるけど、あまり色を塗っている最中に別の事へ意識を向けてしまうのは後々面倒になりそうだ。

 ただ塗料を大量に使うのがなかなか大変そうだ。皿もたくさん使わないとやりづらいし、筆をその度ごとに拭いて塗ることになる。塗料はドンドン乾いてしまうし、リターダーでも使うかな。うん、リターダーを使えば万事解決な気もしてきた。

 

 例えば一品ものの場合、塗装は複雑な工程を経ても問題ないと思う。でも複数生産する場合、塗装は一定の品質を保ちたいから、できるだけ単純な工程を経るようにしたい。その場合、今日考えたようなラッカーで複雑な色味の下地作りなんかは難しいかも。まだ始めたばかりだから、実験をくり返すしかないけどもラッカーは今まで使ってきた絵の具と違う部分が目立つので、色々書いておかないと不安になる。

 一色をベタで塗るのは良くないというのは、よく解った。でも下地の色を塗りきると、その部分の形が持ってる存在感がハッキリ分かるのでこれもありがたかった。ようは造形自体の存在感もキッチリと見えるから、なるべく一色で見栄えがするような形を考えられる。気持ちの良い形、色の映える形。立体になると違うもんだなぁ。

 

 リアル・スティールという映画のCMを見たとき、何ともいえない心の動きがあった。技術とは、それによって新たな物語を生み出す事にもつながるが、同時に、過去に話を映像化する際に渇望されたものなのだということ。人が何か物語を伝えるために欲したものは、素晴らしい道具となるが、その道具を使って伝えたい事や生み出す事は、いつだって変らないのではないかということ。技術の進歩によって、より具体的に伝わるようになることで発想は貧困になるのではなく、想像するというのは切っても切り離せないものなのだと感じた。

 唐突に、脈絡も無く思った事で、明日には忘れるだろう。書いている今も、その時の名残は消えていく一方だ。技術によって駆逐される事などないよ。いつだって想像の力は寄り添っている。技術はインスピレーションを与えてもくれるし、自分の思った事を形にするのを手伝ってくれる。生きていられる。そんな確信にも似た思いが今日、一瞬だけど俺の中で爆ぜたんだ。それを知ってくれ。

 

 

10/19 自画像に着色。今度はアクリルガッシュだ。ただし水で溶かずにペインティグメディウムとマットメディウムを混ぜて乗せた。しっかりと乗ってくれた上、ガシガシと乗せられるのはとても気持ちが良い。色を薄めることで重ねて塗る事が出来たし、それによって下地を生かす事も出来、味のある色味を出す事も出来そうだ。プラスチックとの相性はともかくとしても、石粉粘土とは合いそうだ。塗膜も分厚くならない。筆痕が残ってしまうので、それが気になる造形の場合はヤスる必要があるだろう。

 ラッカーで下地の色を乗せたが、あまり効果的とは言えない結果となった。上に乗せるのが影色だったり頬紅だったりと、少ない色味となるならまだ効果はあったかもしれない。それでもやはり原色だけというのは無理があるが。例えばラッカーは、最終的に影になる部分に多数の色をおいておくというのが良いかもしれない。明るい部分はガッシュでかなり作る事が出来たので、基本色として乗せたラッカーの肌色は結果としては無駄になった。逆に影の部分はガッシュで一から作らなくてはならなかったし、一枚薄い基本色を塗るというのがその後になってしまってギクシャクとした手順になってしまった。スムーズにいくには、ラッカーで暗い部分のいたずらな色味を塗ってしまった方が良いと思う。

 ガッシュでどうにかして肌の質感を高めたいと思うのだが、拙い筆さばきだけでは難しい。エアブラシを使って、柔らかな境界をいくつも重ねることもできれば、近づくとは思う。まぁ、筆で出来るところまではやりたいけど。あとはメディウムに可能性がある気がする。まだまだ色が足りないように見えるし、一日でいきなり満足いくようにはならないね。

 そして今更ながらに髪の毛の造形があってないと思うようになった。無理やりな切れ込みとかブロック化は違和感が凄いし、形の自由度が低くなる。塗装も考えた造形を。

 一日かけてじっくりと冷えてしまったようで、チクチクというかシクシクとした腹痛がある。鳩尾より10センチほど下だが、胃か腸かは分からない。まいった。痛み自体はたいした事はないんだけど、みるみる力が抜けていく。暖かいお茶を飲んでも治らず。とにかく暖めるしかない。何かしらの蓄積もあるのだろう。コレばかりは時間が解決出来るように労るしかない。