車の

免許取れました。

 

2月からやっていたのですが、ついに終わった。

 

もう、空いてる隙間をぬって教習所に行かなくてもいいのは、気分的に楽です。

 

あとは保険に入るだけ。

 

これはすぐ終わるみたいなので、そのあとは運転して経験を積んでいくのみですね。


安全運転心がけていきます。

 

 

最近、「作品」と「趣味のモノ」の判断がつかなくなってきたというか、付けづらくなってきたんですが、皆さん何か基準みたいなものはありますか?

 

いまのところ、かろうじてある基準が「人目につくようにしているのが作品」で、そうでないのが「趣味のモノ」って感じなんですけども。

 

そもそもあまり、今まで「作品」としてキチンと責任を持って、発表(提出)していなかったのが原因かもしれないのですが、そのせいか「人に見せることのできるレベルの作品」という自負をもてていないのです。

 

作品とか創作物というのは、制作者からの問題提起や、思想、自己満足といったような様々な思惑が、こめられてしまうと思うんですが、特に「自己満足」の部分が強いと思う訳です。

 

他の人には出来なくて、自分だけにしか出来ない。自分は特別な人間だ。

 

私はこれに考えをこめるだけこめて、しかも伝わるように仕掛けを作った。だから見てくれ!

 

といったような部分が少なからずあると思います。そして、自分を伝え、相手になんらかのアクションが起きることを期待して作る所までいって、「作品」と呼べるんじゃないかなぁと。

 

自分の作った物が人に与える影響に対しての、大げさでなくともいい「自負」といいますか、それを作り上げることの出来た自分に対する「自信」がなければ、作品として発表するには覚悟が足りないのではないかと、考えている訳です。

 

一方趣味でやるっていうのは、自分だけで完結するので、下手だろうがなんだろうが構わないはずなんですが、中途半端ではダメだという、規律というか拘束というかそんな感じのものが内側からせりあがってくるわけです。

 

そうすると、しっかりやり尽くさねばならない。誰も追いつけないようにしなければならない、といった方向に進んできて、結局息抜きではなくなってくるんです。

 

どこまでいっても満足してはいけない(ゴールが見えない)ようになって、自分よりも上手い人、良い物と比べていく螺旋階段を延々とあがっている気分になります。

 

そうすると、「作品」の時の心の在りようと、「趣味のモノ」の時の心の在りようの差が、ほとんど無くなってきて、最終的に「作品」と「趣味のモノ」の差がわからなくなってしまうんです。

 

だから、今自分の作っている物が、果して何なのかよくわからないのが現状です。

 

 

まぁ、一つ言えるのは長く説明をして、自分の中で安心しようとしている不安があるってことですね。

 

自分を過度に信用してないから、自信がつかないんだよなぁ。読んで字の如くです。

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コメント: 4
  • #1

    天下No.5 (月曜日, 10 5月 2010 12:06)

     車の免許ですか……。合宿じゃない限り一ヶ月以上かかりますよね。僕は取得以来、片手で数えられるほどしか乗ったことがありません。車はコワイですw
     趣味と作品の違いというのはそれほどない気がします。最初趣味だという風に作っても、それを自分の周りだけでない不特定多数に見せたくなれば、どんなに拙いモノでも作品といえるのではないでしょうか?
     逆に作品だという風に作っても、それを自分やその周りだけで楽しんでは作品にはならない。
     いろんな人に見てもらいたいと思うモノであれば、もしそれが叶わなくても作品になると、僕は考えています。モノが出来たときに、それをどう扱うかで変わってしまうもので、作っているときに深く考える必要は、今の時点ではそれほど無いんじゃないでしょうかね? (仕事になったら話は別でしょうけど……)

  • #2

    kaya (月曜日, 10 5月 2010 18:56)

    天下No.5さんへ
     コメントありがとうございます
     合宿は2週間くらいで取らせるようになってるみたいだね。この間、家の車に初めて乗ったらとても怖かったよ。
     趣味と作品の違い>多くの人に触れてもらえたりするように、動いていくことで作品として形を成していく、その過程はわかる。ただなんというか、作品と趣味のモノときっちり分けないといけない気がしてるんだな。
     多分それは、自分だけの世界にならない様にしないといけないという観念があるからだと思う。で、それが行きすぎちゃってるのかも。
     あとは考え方が極端だとか、潔癖だとか、そういうところな気がしてきた。

  • #3

    ceco (火曜日, 11 5月 2010 19:05)

    どんなに適当に作ったものでも、現代はとりあえず「展示」してしまえば「作品」になるよ。
    ただそれが社会にとけ込むか否かの違いは、
    自分が意図した何かが狙い通りに伝わるか否かだと思う。
    例えば自分が「かわいい」と思って描いたものでも、見た人のほとんどが「かわいくない」って受け取ったとしたら
    それは趣味になっちゃうんじゃないかなあ。
    つうか趣味の大半ってそもそも意図や目的を持ってないものが多いような。

    ただこれにもイレギュラーは結構あるんだよなあ。
    具体的な線引きはなかなか難しいね。とりあえず仕事にして数年経たないとわからないだろうね。

  • #4

    kaya (火曜日, 11 5月 2010 22:12)

    cecoさんへ
     コメントありがとうございます。
     まず展示をする。そして、それが自らの意図どおりに伝わることが出来れば「作品」となる、か。成る程。シンプルで一番分かりやすい形だね。
     趣味は意図を持ってない>そのはずなんだよね。しかし、やり込んでいかなければならない、という強迫観念みたいなものがあるのは何故なんだろう。
     仕事にして数年経たないと、っていうのは納得できるね。だって仕事とはっきり別れるんだもの。
     今の所、解決の一番の近道は、何か職に就くことか…。